藍より青し〜縁〜 第12話 絆〜きずな〜

第2シリーズまで続いた「藍青」も、いよいよ最終回。とは思えないくらいに、特に何の事件も展開もない最終回だった。アニメ放映時点で原作が終わっていなかったので仕方ないという事情もあるし、この「何も起こらない」ところが「藍青」らしいとも言えるので、まぁこれでも特に何の問題もないとは言える。

まさかのティナ担当回が最終回となったが、「葵と薫の恋愛物語」という観点では、第9話「白妙」の回が実質上の最終回となるであろう。そして、第9話「白妙」での葵のセリフ「変わらないものって…」を踏まえて、薫と葵に以下の会話を交わさせることで、本シリーズを括っている。
(第9話のセリフは、本ホームページでの第9話の感想に記載。以下URLを参照
http://d.hatena.ne.jp/yama-bushi/20100412/1271092873 )

葵:「薫様…みなさん、この館で育って、そして、旅立って行くのですね。時間は止まらない…けれどいつか、終わる時が来る。でも、皆さんと過ごした素敵な時間は、永遠に消えない…私、今この瞬間を大切にします。この縁(えにし)に出会えたことに、心から感謝して。」
薫:「うん、そうだね…この縁(えにし)があるおかげで、今の俺があるんだ…葵ちゃん…そしてみんながいてくれたから、俺は…頑張らなくちゃ。俺もここで、将来の自分を見つけなくちゃ。みんながいてくれる、この場所で」

この会話とは、将来的な「擬似家族からの自立」を認めながら、しかし将来の自分を見つけるためにも、今この瞬間の「擬似家族との幸せな時間」を謳歌しよう、との宣言であるのだろう。この宣言は、実は第1話での葵のセリフと、言っている内容はほとんど変わらない。少なくとも、「擬似家族との幸福な時間を謳歌する宣言」という点では、どちらも同じである。
(第9話のセリフは、本ホームページでの第9話の感想に記載。以下URLを参照
http://d.hatena.ne.jp/yama-bushi/20100410/1270913292 )
ただ2点、①「擬似家族との幸福な時間=モラトリアム」もいずれ終わりの時が来ることを認めているという点、②この「モラトリアム」は将来のための準備であり、必要なものであるという点を説明しているところが異なっている。

この①〜②のテーマ性を物語内に具現化してみせたのが、「ティナ帰国?編」にあたる10話から12話となるのだろう。
とは言え、「藍青」の本質は「お前らいつまでもぬるま湯に浸かったままでいられると思うなよ」的説教ではなく、まさにこの「擬似家族との幸福な時間(=モラトリアム)の謳歌」に他ならず、桜庭館の住人同様に、ゆったりとした時間の中で噛み締めるような幸福感こそが、本作品の最大の魅力であることに間違いはない。「ティナの帰国の疑惑」は、この幸福な時間をひときわ輝かせるための、ちょっとしたスパイスのようなものだ。(だからこそ、ティナは結局、あっさりと桜庭館に帰ってくるという展開になる)

ただやはり、「うる星やつら」や「天地無用」シリーズに代表されるようなハーレム・ラブコメのように、「永遠の夏休みが続く」というループ性を「藍青」には持ち込みたくなかったのだろう。

本シリーズにほとんど展開らしい展開がないのは、「通過点としての今この瞬間を切り取ること」、もっと具体的に言えば「いずれは終わりを迎える貴重な幸福の時間を積極的に謳歌すること」それ自体が本シリーズの主旨であり、観客に伝えたいことだからだろう。ティナが桜庭館やティナの友人たちの写真を何枚も、何枚も撮影しているのは、このことを象徴的に現していると言えるだろう。

本シリーズの最後で、桜庭館の人間たちの将来が少し描かれる−とか言いつつ、変化らしい変化があったのは、結局ティナだけっぽいけれど(動物園の飼育係になっていた)。と言うか、ティナはやっぱり桜庭館に居続けていそうだよな。薫は相変わらず学生を続けているっぽいし。(ここだけ見たら、「俺も変わらなきゃ」というセリフ、説得力ゼロだな)という訳で、最後の最後まで、桜庭館の成長した姿/自立した姿はほとんど見られなかったけれども、まぁ最後まで「モラトリアムを(瞬間的に)肯定する」という姿勢を貫き通しているので、筋が通っているとも言える(笑)。

[総評]

悪い言い方をすれば、「幸福感に酔い痴れる」だけの作品であり、深いテーマ性は皆無だし(むしろ人生の深淵や苦悩を後回しにしたい)、大きな物語展開もない、単なるマスターベーション(自己満足という意味合いではなく、気持ちよいことだけを目的としたという意味合い)とも言うことができるだろう。

しかし、気持ちよいことだけを目的とした作品で何が悪いか、とも言えるだろう。少なくとも、「この気持ちよさは永遠には続かない」という自覚があれば、気持ちよさに一時的に浸るのは悪いことではない、と開き直ることもできよう。(その開き直りがたちが悪い、という見方もあるだろうが)

私個人としては、本作品のようなスタンスは全く問題がなく受け止められるし、素直に「気持ち良い」と思える。
日本のアニメ・漫画文化が築いてきた「ハーレム・ラブコメ」の、1個の理想的な回答が、本作品に結実しているとまで、考えている。逆に、よくテーマ性だとか物語展開とかに振り回されずに、純粋な「ハーレム・ラブコメ」を貫き通せたなと、立派に思うくらいだ。「ハーレム・ラブコメ」と同時に、「純愛もの」を描いていることを鑑みると、ますます本作の「凄さ」が窺い知れるというものだろう。

原作自体の良さも勿論あったろうが、やはり本シリーズでシリーズ構成になった金巻兼一の手腕に拠る部分も相当大きかったろうと思われる。良い仕事っぷりだった。

下田正美の演出が終始抑制が効いていて、ムードのある画面作りがなされていたのもポイントが高かった。また、本話感想で詳細に述べているとおり、全体のシリーズ構成がきちんとしていたため、作品の本質をブラさずに最後まで貫き通すことができていたのも評価できる。また、作画監督が敢えて絵柄を統一させておらず、各話毎に微妙に絵柄が異なっていたのも、各作画監督の良さを活かした絵柄が毎回観られたのも嬉しかったな。

さてさて、やはり本話の感想を過去の日記にも書いている。分かったような、分からないようなことを書いているが、ま、基本的にはあまり分かっていないようだ。ティナの部屋にあった写真と繭の存在の言及について、やはり誤読しているし。確かに集合写真の中に繭はいなかったけど、そのすぐ横に2つも繭が映っている写真があったと言うのに、過去の俺は何を見ていたというのだろう?

http://d.hatena.ne.jp/oippu/20040927#p1