藍より青し 第24話 葵〜あおい〜

藍青1stシリーズ最終回。

薫と葵が一晩過ごした後に、雅も連れて3人で葵父親の元へ赴き、「これからも薫と葵が2人で暮らしていきたい」と直談判しにいくという展開になる。

「困難から逃げずに、正面からぶつかっていった」薫の姿をカッコよく描きたいという意図があったのだろうが、実際には薫の発言はかなりカッコ悪かった。

薫は一方的に自分の不幸な身の上話と、「葵をヨメにくれ」という自分の勝手な要求を一方的に告げるばかりで、全く説得力がないし、相手の(観客も)心が動かすような言葉を持たない。
葵父親の方も、なんか青がどうこうとか、難しい言葉で葵に諭すような話し方をしているが、結局は「自分の娘が可愛いから、娘の我侭を聞いてあげました」というだけの結論しか述べていない。

この程度で済んでしまうような話を、何故24話もかけて描かれなければならなかったのだろうか、というのが正直な感想だ。

花菱家と桜庭家の2つの財閥の政略結婚を進めていたのが、薫が桜庭家から勘当されてしまったので、その結婚は反故にされてしまった、しかし薫への想いが捨てられない葵は、両親の反対を押し切って半ば強引に薫との半同姓生活を始める、というのがこの物語の導入部であった。
こうした複雑な大前提を持っている話が、本来はこんなにあっさりと解決がされるはずはないのだ。政治的思惑についてどう折り合いをつけていくか、そして個々人の複雑な感情をどのように一つ一つとき解いていくかを、長い話数をかけて、地道に、緻密に紡いでいかなければならない種類の物語である。

藍青は『「財閥一門としての発展」と「一個人としての幸福」との間で、若い男女が揺れ動く』というのが当初のコンセプトとしてあったのではないかと想像している。その観点で考えた場合、藍青は以下2点で完全に失敗していると言っていいだろう。すなわち「花菱側の、薫への対応があまりにヒド過ぎる」こ、そして「桜庭側の、葵への対応があまりにユル過ぎる」ことだ。

藍青では、薫の暗い過去の話が執拗に描かれる。「財閥一門としての発展」のために「一個人としての幸福」は犠牲にされ、花菱家から無理矢理に母親の元から引き離されたこと、母親の思い出の品を守ろうとしたために花菱当主から背中をしたたか打ち叩かれたことが描かれている。
その花菱家と政略結婚を取り交わす程であるから、しかも自分の娘にわざわざ幼少の自分から専任の教育係をつける程であるから、桜庭家も花菱家同様の方針、すなわち「財閥一門の発展が、一個人の幸福より優先される」を持っているものだと、私は想定していたし、他の多くの観客もそうであったろう。

ところが、桜庭家は花菱家より遥かにユルかった。葵が薫に会いたさに家を無断で飛び出していっても、それを許し、それどころか葵が住むための別荘と家具一式を用意してくれたりした。
最初はお目付け役としての役割を預かっていたであろう雅さんも、あっさりと葵と薫の恋を応援するようになってしまった。
挙句に、せっかくわざわざ見合いの縁談を用意したのに興味まるでなしの態度を取られ、それを呼び水に薫に桜庭家の敷居を跨がせ、「葵をヨメにくれ」と暗に迫られ、半ばOKを出してしまったりする。

結局、桜庭家は「バカ親と我侭娘」でしかないのだ。で、娘の我侭が何でもかんでも通るのならば、そもそも障害なんて最初っからなく、財閥云々といった設定をわざわざ出す必要などなかったのである。それとも、「お嬢様」という記号性を出したかっただけということだろうか?

ここまで書いてきて気づいたのだが、「藍青」は「財閥一門」云々とかは物語本筋には実は関係なく、単に「暗い過去を背負った薫が、葵を中心とする『桜庭館=家族』にて癒されていく話」ということなのかもしれない。葵が桜庭家財閥の娘なのは、桜庭館というデカい屋敷を登場させたりとか、単に設定に便利というだけのことなのかもしれない。

つまり、「藍青」では、薫が「家族」の中で人間性を取り戻していく話であり、葵はそのための媒介に過ぎなかった、ということなのか。そこまで考えて、ようやっと腑に落ちたというか、一定の納得はできたかなぁ。

ここまで長々と語ってしまったので、後は手短に今話に関する感想をちょっとだけ語りたい。最後の場面で、葵が自分の胸元に薫の顔をギュッと押し付けているところを見て、「やっぱりコイツ淫乱女だな」と再確認できたなぁ。(22話では、自分の方から「薫と一緒に風呂に入りたい」と言ってきたし)川澄綾子ヴォイスに誤魔化されてしまい、葵ちゃんをついつい清純キャラと捕らえてしまいそうになるけれど、実は我侭で、淫乱キャラなんだよな。注意しないと。(何にだ?)

また、エピローグで、幼少の自分に、大きな切り株のところで寝ている薫に葵がキスをする場面が描かれていたな。22話のところで、大きな切り株を通った時に、葵が「あっ」と何かを言いそうになった場面があったけれど、このエピローグに繋がってくるのか。こうした細やかな仕掛け作りがいかにも藍青らしい。

作画監督は川嶋恵子と杉本功になっている。前半の端正な作画が川嶋恵子で、後半のコミカル要素が強い作画が杉本功かな? いずれにせよ、ラストを好きな作画で締めれたのは素直に嬉しかったな。

[総評]

2000年代に入って、「財閥」とか「お家の発展のため」とかいう古めかしい設定を持ち出してきて、どう処理してくんだ?と思っていたら、ほとんど何の処理もしなかったのが、斬新っちゃあ斬新だった(苦笑)。まぁ、個人的に大分その古めかしい設定で振り回されてしまったけれど、最終回感想で書いたとおり、財閥云々は単に便利な設定くらいのものだったのだろう。

色々と賑やかしの女性キャラはいるものの、基本的には2人の純愛を描いた物語であったと思う。アニメにはラブコメエロコメは無数にあれど、男女の純愛を描いた話というのは実は少なく、その点で貴重な作品であったと思う。

また、「家族」というテーマを軸に描出される桜庭館のゆるやかな日常が心地よく、何だかんだで肩肘張らずに楽しく観られるシリーズであった。



追伸.
おそらくは、当初は財閥云々について、もっとガッツリ踏み込んだ描き方をするつもりだったのだと思うが、かなり序盤で割り切って、「桜庭館の日常ライフ」を描くだけの話となっていった。それで正解だったと思う。(23話で、「家政婦にさせればいいと雅が咎めるのを聞かず、葵が自主的に料理の修業をしている場面」が描かれていたが、コレが実に後付け臭いなぁ。元々は「政略結婚に乗っ取って、花嫁修業を強制させられていた」という設定を作っていたはずだろう)