愛の戦士レインボーマン 第39話「首都東京最後の日」

モグラート編の最終回。

39話の段階で話をバタバタ一気に進めようとしてまとまりきらない様子が見えてしまい、締まりがない結末になってしまったという印象だった。過程が描かれることのない事項をいくら繋げたところで、物語として成立するはずがない。

たとえば、ヤッパ鉄が炭鉱を逃げ出して、タケシに「死ね死ね団が炭鉱を掘っていたのは、ニトロンを精製する材料にするため」という重要な情報をリークする場面がある。しかし、ヤッパ鉄は死ね死ね団に炭鉱に雇われた一般市民に過ぎない。彼はどうやってその事実を入手したのだろう?

また、「証拠隠滅」と称して、せっかく掘っていた炭鉱を次々と爆破させていくのも解せない。むしろ、「自分たちがニトロン精製に関わっている」と高らかに拡声器で主張するようなものだ。(実際に、そのことが契機となってレインボーマンや日本政府に死ね死ね団の存在に気付かれてしまっている)

緻密な軍事アクションもどきをやろうとして、上手く着地できないまま終わってしまった、というところだろうか。モグラート編でも見所のある回もあったし、これまで名シリーズが続いていただけに、今回の失敗はちょっと残念だったなぁ。

なお、今話では、始めて日本の自衛隊が、死ね死ね団の陰謀を阻止するために大きな役割を果たした回となっている。自衛隊と白文字で書かれたヘリコプターが映っていたけれど、あれは本物なのだろうか?本物の自衛隊が協力したものだろうか?最近では、どんなしょっぱいアニメでも、自衛隊は簡単に惜しみない協力をしてくれるけれど、当時(72年〜73年)の自衛隊のこういった作品の理解はどの程度のものだったのだろうか?

機会があれば、自衛隊の特撮やアニメ作品に対する協力体制について一度調べてみるのも面白いかもしれない。

愛の戦士レインボーマン 第38話「A.B.C.Dライン大爆発」

モグラートが地面下を掘り過ぎてしまったために、村がまるまる1つ地盤沈下を起こして沈んでいき、沈んだ地面から水が溢れ出して洪水が起こるという場面がある。この場面での特撮が、ミニチュアも精巧に作られており、地面が崩れて沈み込んでいく場面もしっかりと捕らえられており、非常に見応えがあった。
レインボーマン」は、特撮の見せ場が「しっかり作られている」ところと、「ヤッツケ」のところがクッキリ分かれているな。(「ヤッツケ」のところは、カメラワーク等を駆使することで、何とか不足分を補っている)テレビシリーズという予算枠の中でやりくりするには、賢い選択と言えるのだろう。

また、ここに来てミスターKが命を賭してレインボーマンを葬った(ように見えた)オルガ&ロリータに対して情けある言葉をかける場面があったのには少し驚いたな。これまで、ミスターKは部下を道具のように扱い、そのような発言しかしてこなかったのに、ここに来て一体どういう風の吹き回しなのだろう?

愛の戦士レインボーマン 第37話「Xゾーン破壊命令!!」

オルガ&ロリータのレインボーマン暗殺作戦、及び死ね死ね団が密かに「ニトロン」と呼ばれる凶悪な破壊兵器の元となる物質を大量生成するための陰謀を進める話。

しばらくはややおとなしめなトーンが続いていたレインボーマンであったが、この話では最初にあった「気の狂った、カオティックなトーン」が戻って来ていて、非常にいい感じだ。
前話でのトラウマから、タケシが恋人淑江に、周りにいる全ての人間が「暗殺者」に見えてしまう状態にあり、ノイローゼでどうにかなりそうだと告白し、苦悶した顔で頭を抱える場面は、杉谷邦久のバタ臭い顔と演技と相まって、非常に「レインボーマン」らしい「濃ゆさ」が出ていて、良かったな。また、オルガ&ロリータがバイクに乗って公園を歩いているタケシに近づき、白昼堂々と拳銃で暗殺を仕掛け、流れ弾に当たってバンバン周りの人が死んでいく場面も凄かった。これまで、何故か人気の少ない場所で戦闘を行ってきたレインボーマン死ね死ね団であったが、ここに来て人がたくさんいる中で、しかも周囲の無関係な人間が死んでも全く構わないといった感じで、オルガ&ロリータがレインボーマンを暗殺にかかろうとする場面が出てくるのは新鮮であったし、死ね死ね団の狂気がよく現れていた。
そのクセ、タケシの恋人淑江を誘拐しようと幼稚園前まで来るも、ヤッパの鉄が通りかかっただけで諦めて逃げてしまったりするなど、行動性に一貫性が見られないところがあって、詰めの甘さは感じさせられたけれど。(流れ弾で人を殺すのを気にしない程のタマなら、何故、邪魔に入ってきたヤッパ鉄を殺さない?)

また、死ね死ね団が新たに展開しようとする作戦も面白い。「ニトロン」というのは明らかに「プルトニウム」を暗示した言葉なのだけれど、それが「石鹸と石炭」で大量精製できちゃうというトンデモ設定が面白い。また、石炭を大量に入手するために、炭鉱を開いて国中の労働者を好条件で集めるという作戦も、レインボーマンらしく地に足の着いたリアリティある作戦で興味深い。

レインボーマン放映時の72〜73年は、最盛期に比べて落ちたとは言え、まだまだ日本の炭鉱も現役で稼動していた時代であったようだ。また、石油と異なり、「日本国内で賄えるエネルギー資源」として、当時の人々は石炭に対してまだ期待を持っていた時期だったのではないかと推察される。(国内の石炭生産量については以下URLを参照)

http://www.nedo.go.jp/sekitan/database/country/c0020-2b.html

こうやって、当時の時代背景や、その時代に生きた人々がその時に何を感じ、考えたのかも想像して観ていくのも、また非常に楽しい。昔の特撮ものは数多くあれど、そういった観方を寛容できるのはあまり多くはないように思う。「レインボーマン」が当時の時代背景をきちんと(おそらくは意識的に)色濃く反映させていた作品だからこそだろう。

あー、後々、アイキャッチ直前でタケシ&淑江が仲良さそうに歩いている場面で急にアート写真のように画面に靄がかかるが、これは「ラブシーン」を現しているのだろうな。2人が見詰め合う場面がアップになり、お?コレはこのままいくか?と思っていたら、2人はそのまま額をぶつけ合い、笑いあう場面でアイキャッチに入ってしまう。やはり、子供向け作品には、キスシーンは入れられなかったということなのだろう。残念だが、ここまで踏み込んで描いてくれたことには、むしろ賞賛すべきだろう。

愛の戦士レインボーマン 第36話「恋人は暗殺者」

死ね死ね団オルガが、タケシ恋人淑江に姿を変えて、レインボーマンを暗殺にかかろうとする話。っつうか、ずうっとタケシのことを見張っていて、タケシに恋人の存在があることは分かっていたはずなのに、何故今さらなんだろうな。それを言ってしまえば、タケシの実家の場所を突き止めていながら、一向に放置したままなのも謎ではあるのだけれど。

今回はツッコミどころが多い回だったなー。
政府要人を乗せた車が、何故人気のない、全く整備もされていない田舎の山道を走っているのも謎だし。(その方がミニチュア特撮が組みやすいから、という以上の理由はないのだろうけれど)後、タケシと淑江が食事をするレストランは、「恋人たちが食事をするに相応しいオシャレな店」という設定なんだろうけれど、出された食事がホワイトシチューって(しかも、オカンが作りそうなハウス食品製の)、そりゃちょっと庶民的過ぎないか?

ラストでの死ね死ね団飛行部隊とレインボーマンとの空中特撮シーンは、もろにミニチュアということが丸分かりではあるけれど、縦横無尽に飛び回る飛行機レインボーマンを追っかけるカメラの動きと繋ぎ方がスムーズで、巧かったな。
他にも、恋人淑江に化けたオルガに毒を盛られた際のタケシの主観のカットも、花瓶に生けられた花の隙間から睨むように見据える淑江(オルガ)にピントが合ったところから、フッと手前の花にピントが合わさって、その次のカットでタケシが意識を失いそうになって倒れこむ流れに繋げるところなど、今回は冴えたカット割りがいくつか見られた回だったな。

愛の戦士レインボーマン 第35話「姿なき黒い手」

物語序盤で、タケシが全く前後の脈絡なく、幼稚園教室の部屋に置いてあったラジオをつけて流れてくる妙ちきりんな曲(初期EDの「ヤマトタケシの歌」)に合わせて踊る場面があるが、アレは一体何の意図があるのだろうか? 楽曲の販促だろうか?

それはそうと、今回はまるで「刑事アクション」もののような物語で、真っ当に面白かったな。死ね死ね団が、不思議な機械によって、外人共を別戸籍の日本人の姿(暴力団組織の中で顔が利く程度のクラスの者)に変えてしまい、そいつらに悪事を働かせるという策略を、「元暴力団で現タケシの子分のように振舞っているヤッパの徹が、ヤクザ者の格好をして街をうろついているところを見かける」という事を発端に、タケシが突き止めていくという流れも、美しかった。また、「タケシは恋人とデートを約束しながら、レインボーマンとしての活動にかまけて約束をすっぽかしてしまった」という本編と並行して走っていたストーリーも、綺麗に本編物語につなげてきていて、上手かったな。(恋人はヤッパ徹経由で聞いた重要な情報をタケシに教えるのを最初はためらっていたが、タケシの説得に意を決して、タケシに情報を伝えるという流れ)

ヤッパ徹がニセモノの徹に対して、「俺は俺だ!」と吐く場面があるが、ここにはアイデンティティの揺らぎと、確認作業が見て取れる。このアイデンティティの揺らぎはまさに「レインボーマン」の裏テーマと繋がっていて、日本が発展し、国際社会の一員として一人前の国家としてきちんと認められるようになってきた折に、「日本人としてのアイデンティティを見失わないでいられるだろうか?」という日本人の疑問を代弁したセリフであると取ることもできる、というのは穿った見方過ぎるだろうか?(外国人が、日本人の国籍を持った人間の姿に化ける、というのがミソになるのではないか?)

愛の戦士レインボーマン 第34話「真空竜巻の術」

冒頭の、死ね死ね団の策略によって発生した「人口津波」の特撮効果が実に素晴らしい。海の上から、まるで固形物のようにむくむくと立体的な煙が幾層にも重なって現れるシーンはまさに圧巻で、当時の日本の特撮クオリティの高さを思い知らされた。一体、どうやってあの不思議な、立体感のある幾層もの煙を、水面の上に綺麗に並べたのであろうか?

本作品の最も見応えのある場面は冒頭の僅か2〜3分で終わってしまい、残りの時間はタケシと死ね死ね団とのちょっとしたバトルで消化されるといった流れであった。まぁ、モグラート篇はバトル描写 or 特撮描写に専念していることが多く、これまでのように「物語を見せる」という展開はあまりされないようで、レインボーマンの「物語」のファンの私のような人間にはちょっと残念である。もっとも、今回のような凄い特撮効果も拝めることができるので、気を抜いて観ていることもできないのだけれど。

「拝める」の言葉で思い出した。
今回は幼女が出てきて、タケシを看病したり、レインボーマンに救われたりと、話にちょっとだけ絡んでくる。それ自体は、「メインターゲットである小さなお友達へのファンサービス」程度の意味合いであるので、さほど注目すべきポイントではないが、幼女自体はどうしたって注目せざるを得ない。だって、立ったままでスカート下から余裕でパンツがはみ出てしまうようなミニスカートを履いてるんだぜ!?幼女、パンツ見せ放題でしたよ。そのスカートとパンツの組み合わせは、時代背景を考えてもありえないと思う。と言うか、どの時代にも、そんな組み合わせはないと思うぞ。いや、ひょっとして過去にはあったのか?

冒頭は凄い特撮、中盤以降は幼女のパンツを求心力に、話を進めていく。やはり、レインボーマンは侮れないな。(幼女のパンツは無自覚でやっているのか、狙ってやったのかは、よく判断がつかない)

愛の戦士レインボーマン モグラート編 [DVD]

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青いブリンク 第18話「咲くか!?エメラルド森の闇の花 」

カケル達が次に訪れたエメラルドタウンは、生花で溢れている華やかな街だった。カケルはその街で造花を売っている少女フラと仲良くなり、彼女から「闇の花」の存在を教えて貰う。闇の花は皆既日食が行われる5分間のみ咲き、その種は闇の川に向かって飛んでいくという。カケルは皆既日食が行われる日に闇の花のある場所に連れてって貰うことをフラと約束するが、フラの父親ロックベラーはその話を立ち聞きしていた。ロックベラーは生花を乱獲して街中に売りさばく商人であり、また珍しい花を押し花にする蒐集家でもあったのだ。フラは父親により部屋の中に閉じ込められたがすぐにカケルに救い出され、すぐにカケル達と一緒に闇の花を取ろうとする父親を追い駆けていった。。。といったのが最初のあらすじ。

今回はかなり筋運びが杜撰だった。カケルがエメラルドタウンに来てフラに会った日がたまたま皆既日食の日だったり(凄い確率だぞ?)、部屋に閉じ込められたフラの窓のすぐ横に何故かはしごが立てかけてあったり(逃げてくれと言ってるようなモン)、最後にカケル達に命を救われたロックベラーが父親の行方の鍵となることを教えてくれたり(ロックベラーが何故それを知っているかは全くの謎)、とにかく都合良い設定のオンパレードだったな。

教訓譚的にも、「自然の乱獲はいけないよ」という、まぁそりゃそうだ的なことで、前話のような深みはなかったな。今回はハズレの回ということだろう。当たりの回が少ない気もするが。

あー、でも女の子フラのキャラデザが、アニメ用にリファインされた感じではなく、手塚治虫の漫画からそのまま飛び出してきたような造形になっていたのは、個人的にヒットだったなぁ。