愛の戦士レインボーマン 第35話「姿なき黒い手」

物語序盤で、タケシが全く前後の脈絡なく、幼稚園教室の部屋に置いてあったラジオをつけて流れてくる妙ちきりんな曲(初期EDの「ヤマトタケシの歌」)に合わせて踊る場面があるが、アレは一体何の意図があるのだろうか? 楽曲の販促だろうか?

それはそうと、今回はまるで「刑事アクション」もののような物語で、真っ当に面白かったな。死ね死ね団が、不思議な機械によって、外人共を別戸籍の日本人の姿(暴力団組織の中で顔が利く程度のクラスの者)に変えてしまい、そいつらに悪事を働かせるという策略を、「元暴力団で現タケシの子分のように振舞っているヤッパの徹が、ヤクザ者の格好をして街をうろついているところを見かける」という事を発端に、タケシが突き止めていくという流れも、美しかった。また、「タケシは恋人とデートを約束しながら、レインボーマンとしての活動にかまけて約束をすっぽかしてしまった」という本編と並行して走っていたストーリーも、綺麗に本編物語につなげてきていて、上手かったな。(恋人はヤッパ徹経由で聞いた重要な情報をタケシに教えるのを最初はためらっていたが、タケシの説得に意を決して、タケシに情報を伝えるという流れ)

ヤッパ徹がニセモノの徹に対して、「俺は俺だ!」と吐く場面があるが、ここにはアイデンティティの揺らぎと、確認作業が見て取れる。このアイデンティティの揺らぎはまさに「レインボーマン」の裏テーマと繋がっていて、日本が発展し、国際社会の一員として一人前の国家としてきちんと認められるようになってきた折に、「日本人としてのアイデンティティを見失わないでいられるだろうか?」という日本人の疑問を代弁したセリフであると取ることもできる、というのは穿った見方過ぎるだろうか?(外国人が、日本人の国籍を持った人間の姿に化ける、というのがミソになるのではないか?)