青い文学シリーズ 人間失格 第4話「新世界」

第4話まで観てようやっと、本シリーズでずっと疑問に思っていた部分、はっきり分からずにもやもやしていた部分が、全て氷解した。その結果として、本シリーズがなかなかの佳作であることが分かった。

まず、主人公が苦悩してきた理由の一端が、堀木の口から明快に語られる。
「お前は、親父さんに認めて貰いたかっただけなんだよ!」
ここで、葉蔵の鬱屈したコンプレックスの正体が「父親から認められなかったこと」にあることが分かる。そして葉蔵が、傍目からは(観客からも)少々唐突で奇異に思える行動ばかり取ってしまう理由の根幹に、父親に「認められなかった」という負の感情が大きく影響していたことに気付かされた。第1話における謎でしかなかった主人公の行動(真剣でもないのに運動に加担したり、無理心中を図ったりする事)も、父親への反抗心や逃避したい気持ちと考えれば、理解できた。

また、今話では(実際は「今シリーズ全般を通して」なのだが)堀木がキーパーソンとして、本作のテーマに関わる重要なセリフを口にする場面がある。

堀木が葉蔵に自分は入営することを告げ、葉蔵の家を立ち去ろうとする。葉蔵は堀木に縋り付き、必死の体で叫ぶ。
「お前は芸術家じゃないか!何で、戦争なんか行くんだよ?」
それに対して、堀木は冷静に答える。
「世界が壊れかかっているんだ。もっとも、芸術家だからこそ、一層感じるのかもしれないがな―葉蔵、人間としての最後の一線って何だ?自分が飢えているからって、人の物を奪うのは人間じゃねぇ。お前は女の命を奪ったがな」
堀木にしがみつき不気味な笑顔を浮かべていた葉蔵は、ここでハッと我に返ったように、恐れおののいて「俺は殺してなんかいない!」と叫ぶ。
「まぁ聴け…お前は確かに奪ったが、相手の意思を尊重しただけ、まだマシってことだ。だが…これからそんな甘ちゃんは生きていけねぇ。誰1人として人間じゃなくなる、犬畜生の時代が来るんだ。どうせなら俺が真っ先に…ってな」
ここで、これまでずっと神妙な顔つきをしていた堀木が始めて、堀木らしい狡賢い笑顔を浮かべて言った。
「世界中の人間をぶち殺してくるぜ」

このシーンは非常に象徴的なシーンである。
堀木は葉蔵を時に利用し、時に蔑んでいたが、決して完全に葉蔵を見放すことはなかった。ある意味において、堀木は葉蔵の「同志」であり、「理解者の1人」であったのだ。
では、堀木はどういった点で葉蔵と「同志」だったのだろう?
まずは、堀木の「芸術家だからこそ、一層感じるのかもしれない」というセリフに着目したい。堀木は葉蔵と同じく「芸術家」だからこそ敏感な部分を持っており、「人の物を平然と奪う、犬畜生の時代が来る」ことを予期できた。そして堀木は、このまま被害者になるよりは、「芸術家」どころか「人間」さえ辞めて、「犬畜生」の道を選ぼうとしているのだった。

一方、葉蔵はどうか? 葉蔵にはとてもそこまでの覚悟が持てない「芸術家」であり、と同時に、「これから先生きていけない甘ちゃん」である。
今風の言葉で言えば「草食系男子」ということになるだろう。

堀木は、時には葉蔵を助けるフリをして葉蔵に金を無心することもあれば、純粋な親切心から葉蔵を探し出して父親の危篤を知らせることもあるような、「草食性」と「肉食性」の両方の要素を併せ持つ男であった。そして、そんな堀木が、これからの世の中を生きていくために自らの「草食性」を完全に捨て、「肉食性」(堀木言うところの「犬畜生」)の道を選択するという宣言をしたのだ。これは、逆説的に「草食の道しか選べない」葉蔵には死の道しか残されていないことを、物語内に提示したことになる。堀木の存在によって葉蔵の草食性が更に浮き彫りにされ、また堀木の宣言によって、葉蔵の近将来の悲劇的結末が予言された形になるのだ。

本作品における「肉食系」の人間は、世の中の主流を占める層であり、葉蔵を苦悩させる元となっている存在である。葉蔵の父親、葉蔵を監視しつつも津軽からの仕送りをくすね取っていた平目、葉蔵に猟奇的或いはエロチックな漫画読み物を書かせている編集者、そして葉蔵を「人殺し」と噂している「世間一般」のような、鈍感で、自分さえ良ければそれでいいといった種類の人間である。(なお、この編集者が葉蔵が信頼していた美子を一方的に犯した事を葉蔵が目撃した事が契機となって、葉蔵は加速度的に悲劇的な最期に転がり落ちていくこととなる)

その一方で、本作品に登場する女性は基本的には「草食系」として扱われている。第3話の終盤で、葉蔵がマダムに「どうしてみんな、女の人はこんなに俺に優しいのかな?」
それに対してマダムは簡潔に答える。「世の中が、女に優しくないからね」
つまり、本作において女は「世の中の弱者」=「草食系」に属し、だからこそ同じ草食系である葉蔵と親密な関係を結んだのである。
本話の終盤で、マダムは葉蔵に対してこうも言っている。
「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気が利いて…あれでお酒さえ飲まなければ…いいえ、飲んでも、神様みたいな、いい子でした」
つまり、葉蔵は人間失格でも何でもなく、人一倍人の気持ちが分かるデリケートさを持って、人を傷つけることができない、優しい心根の持ち主として、本作では描かれていたのだった。

[総評]
本シリーズをいささか乱暴にまとめてしまうと、「肉食系が主流の(主流になりつつある)社会に馴染めず、翻弄されっ放しであった草食系男子が、やがて社会に敗北し、自ら命を落とすことを選択する悲劇」を描いた話となるだろう。第4話まで観てきて、私は「そういう話だったのか」とハタと膝をついてしまった。
しかしそうなったら、陰々鬱々としたトーンが前面に出されていた第1話が惜しく思えてくる。全話を観終えて振り返って鑑みた時には、第1話の出来は決して悪くはないのだが、それでも原作を知らずに(或いは私のように大分昔に呼んですでにうろ覚えになっている状態で)本作を観た人間を少し遠ざけてしまう構成になっているのは否めず、非常に勿体無い気がしてしまう。
最後まできちんと観れば、こんなに深みのある作品だということが分かるのだから。