青いブリンク 第17話「ミルキーホワイト・空中神殿の秘密」

前話で、少年ガロトが占ってくれた言葉「ミルキーホワイトという街で、闇の箱舟が現れるだろう」にしたがって、カケル一同はミルキーホワイトという街に赴く。しかし、ミルキーホワイトには天空に浮かぶ島があり、街に住む人々はその島から落ちてくる岩や神殿の柱に日々悩まされていたのだった。カケル達は、天空から降りてきた戦士たちに反抗的な言葉をとったばかりに、その戦士に身柄を拘束され、天空の城に連れて行かれてしまう。。。といったのが最初のあらすじ。

今回登場するミルキーホワイトという街の「空に浮かぶ島」=「空中神殿」とは、おそらくスゥイフトのガリバー旅行記の第3部に登場する空飛ぶ島=ラピュータから取られたものだろう。ラピュータと言えば、勿論宮崎駿の「天空の城ラピュタ」があまりにも有名だが、本作では「空に浮かぶ島には宮廷があり、街の上を浮かんでいること」「天然磁石の磁力によって浮いていること」が一致している。(「青いブリンク」内では明確に磁力の力に拠って浮いていると出てきている訳ではないが、縞を構成する岩石の中に「空に浮かぶ」成分が入っているような描写がなされている)その点で、より原典に近い「イタダキ」と言えるだろう。

本作で面白いのは、「空飛ぶ島」のメンテナンスをきっちり行っていないために、岩が崩れて下に住む街の人々に大きな被害が出ているという設定を加えている点で、この部分は本話の明らかなオリジナルである。これは、人々の「怠惰」によって引き起こされた災禍である。

また、宮殿に住む者たちは、かつての繁栄を再び取り戻そうとするために、彼らが残した伝説のとおり「闇の箱舟が現れる夜」に「青い馬」=ブリンクを生贄に捧げるといった行動に出たり、また岩が落ちて住民たちに被害を与えても一向に気に留めようともしなかった。宮殿の人間たちが、強いエゴと「傲慢」の精神に支配されているのが分かる描写だ。

一方、後半ではブリンクの「ボクが生贄に捧げられることでカケル君の父親が救われるのならば、それが本望だ」という「自己犠牲」の精神が描かれたり、カケルや(遂には宮殿の戦士の)身体を張って人の命を救おうとする行為が美しく描かれる。

最終的には、暴動覚悟の直訴に来たはずの街の住人たちが、神殿の少女の素敵な笑顔にほだされて「宮殿を修復しよう」と申し出る。最後の場面では、宮殿の戦士と街の人々が仲良く宮殿を整備するところの描写で終わる。

この全体の流れを見ると、本話がまるでキリスト教精神に基づいているかのような教訓譚として成立されていることが分かる。生真面目過ぎてやや面白味に欠けるキライはあるものの、教訓譚としての完成度は高く、こういったベタな教訓譚をきちんと差し挟んでくるあたり、子供向けに誠実な作品を作ろうとするスタッフの心意気が感ぜられ、私的にはたいへん好感が持てる。