青いブリンク 第15話「ゴールドバレーの光の箱船」

カケル達は道中で「光の箱舟」を何十年も探しているという男と出会う。その男は「光の箱舟」がゴールドバレーにあるはずだという確信の証拠として、カケル達に新聞を見せた。そこには、ゴールドバレーのすぐ近くにあるシルバーバレーにて「光の箱舟」の対となる「闇の箱舟」が見つかったということが記されてあった。カケル達は父親を救うべくシルバーバレーに乗り込むが、あと一歩というところで、父親は闇の箱舟に閉じ込められ、異次元に出航させられてしまった。カケルは挫けそうになったがブリンクに諭され、「光の箱舟」を探していた男の協力を得て、ゴールドバレーへと向かうのだった。だが、グロス皇帝一味はカケルたちの後をつけていたのだった。

といった内容。

「光の箱舟」だの「闇の箱舟」だのという「伝説」を唐突に持ち出してきて、しかも「伝説」の話を出して1分も経たないうちに「伝説は伝説ではなく、事実だったのです。箱舟は本当に存在していたのです」と強引に筋を運んでいくことについては、敢えて今さらツッコむことはしまい。これまでも「何でもアリ」の形で進めてきていうのだから、今さら多少強引な設定を放り込んでも、「何でもアリ」だろう。

この作品の「何でもアリ」なスタイルを一応理解し、ある程度のことはスルーするつもりだったが、しかしそれにしても、今話はいくつかの場面であまりにヒドく、ツッコミを入れなければならない箇所があった。

たとえば、カケル達が父親救出に失敗し、シルバーバレーから逃げ出した時、グロス皇帝は部下に「カケルたちの後をつけて彼らに光の箱舟を見つけ出させろ」といった内容の指示を出す。
しかしグロス皇帝はなぜ、カケル達ならば「光の箱舟」を見つけ出せると思ったのだろう? 自分達で探すのと、カケル達が探すのと、先に見つける可能性はどちらも同じくらいではないか?(いや、「闇の箱舟」を探し当てたノウハウがある分、グロス皇帝一味の方が有利のはずではないか?) それより何より、カケル父親を闇の箱舟に閉じ込めたのは「カケルと仲間達が追っかけてきたから」である。光の箱舟を探している理由は、「光の箱舟を潰してしまい、闇の箱舟をおっかけられないようにするため」である。であるならば、何故、その場でカケル達を仕留めることよりも、「光の箱舟」を見つけることを優先させるのだろう?順序が逆ではないだろうか?

カケル達が光の箱舟を探し当てる方法も、まぁ適当な描き方がなされている。光の箱舟の在り処を示す重要なアイテムである彫像がその辺に無造作に転がっている…のは、百歩譲ってよしとしよう。しかし、それらの彫像を適当に地面に配置して、その影が重なるところをスコップで掘ったら、次のアイテムが見つかったって、それどういう仕掛けになっているんだ? 3つの彫像をいくら向き合わせで並べたところで、影までが「向き合うように」伸びる訳ねぇだろ! 「配置がテキトーに見える」とか、「別にその彫像である必要ねんじゃね?」とかいうツッコミ以前の、根本的なところをツッコミたいわ!

よくは分からないけれど、「青いブリンク」では特殊なアイテムを使えば伸びる影の方向も変わるという特殊な世界観なのね………とお釈迦様のような気持ちで納得したら、「太陽が西へ45度傾いた時に、100mある木の上から宝石をかざせ」とある。あれ? やっぱり「太陽の高さや向きによって影の長さや向きが変わる」という世界観は活きてるの?と言うか、木の高さをいくら厳密に設定しようと、その宝石を太陽にどのように向けるかという微妙な角度によって、「太陽が宝石を透かした光」が当たる場所なんかコロッコロ変わるぞ? 中途半端!

「謎の地図にしたがって宝探しをする」というのは、ジュブナイルものの一種のパターンではあるけれど、だからこそ真剣に作りこみをしなければ、途端に浅いウソがバレて、白けてしまうのだ。今回の話など、まさにその典型だろう。「青いブリンク」という割とラフなノリの作品にそこまで多くのことを最初っから期待している訳ではないが、それにしても、あまりにも今回はひど過ぎたな。今回も、内海賢二がゲスト出演しているという、声優面でしか見所が感ぜられなかったな。

ちなみに脚本は山田隆司で、演出は西牧秀雄。今回は脚本も、演出も、どちらも冴えなかったなぁ。山田隆司は14話では面白い設定を見せてくれただけに残念。