アイス・エイジ3/ティラノのおとしもの

2009年制作のアメリカ製CGアニメ映画。

前シリーズから4年、とまではいかないまでも3年のインターバルを経て制作されている。前回でも感じたけれど、やはりCGクオリティが格段に向上している。毛並の細かさが半端ねぇ!シリーズ1からシリーズ2に移った際にもクオリティが格段に向上したと感じたが、シリーズ3は前回以上に綺麗になっている。マニーとエリーの毛並みの違いが明確に分かるようになっているのも、ポイントが高い。(マニーはちょっと硬めの毛並みで、エリーは透き通ったような毛並みとなっている)毛並以外にも、2009年度になるとCGで非常に繊細な表現まで可能になったのだと感じさせるような場面がいくつも出てくる。冒頭でスクラットとスクラッティがダンスをする時にふんわり空に舞う落ち葉の描写も素晴らしいし、スクラッティのまるでハリウッド女優を見ているかのような雰囲気のある憂い気な表情もいい。また、シリーズ1/シリーズ2でも、水の表現は素晴らしかったと思うが、今回は「自然な水らしさ」が極限まで表現できており、感嘆してしまった。特に、序盤の方でスクラット/スクラッティが泥の中に落ちて、そこからシャボン玉の中に入る形で二匹が空中に出ていくシーンがあるが、あの場面での水、そしてシャボン玉の表現が非常に秀逸だった。
また、冒頭でのシドが恐竜の卵を追って雪山から滑り落ちていくシーンや、ディエゴのハンティングシーンなどで、動きの速いキャラクターを追いかけていくようなカメラワークを見せたりするところ等、今回はシリーズを通して最も自由なカメラワークができているのにも感心した。(おそらくこれも、CGクオリティが向上したことの成果だろう)

CGクオリティの向上を上げていけばキリがないのでこのへんで。ちなみに本作品の制作はディズニーでも、ピクサーでもなく、20世紀フォックスお抱えのBlue SKy Studioというところらしい。これまでは「アイス・エイジ」シリーズと「ロボッツ」くらいしか作品がなかったけれど、今後「第三の勢力」として一般の人にも知られるような存在になるのではないかと期待している。

作品的には、第三作目まで来てバラエティ感を出そうとしたのか、「いろいろな有名映画の面白要素を一つの作品に詰め込めました」的な内容になっている。イタチのバックは一目瞭然「パイレーツ」シリーズのジャック・スパローのモチーフとなっている。また、中盤で狭い渓谷の隙間をバックが翼竜を操って飛行するところのカットは、「スター・ウォーズ 帝国の逆襲」のあの有名な空中戦闘シーンをまんまコピーしているかのようだ。勿論、恐竜が登場する映画なので、「ジェラシック・パーク」からも当然イタダキがある。本作品の大ボスとなるルーディを倒す際には、「ジェラシックパーク」で恐竜に対処したのと同様に、足元に回りこみ、紐で恐竜の脚をひっかけるという場面がある。(「アイス・エイジ3」では、さらに発展させて、紐で恐竜をがんじがらめにさせていたけれど)(「スター・ウォーズ」シリーズにも、同様の場面があった)他にも私が気づいていないだけで、分かりやすい映画のイタダキのシーンがありそうだ。そう言えば、「アイス・エイジ3」の副題も「Dawn of the Dinosours」となっている。これは勿論、ジョージ・A・ロメロの映画「ゾンビ」(原題:Dawn of the Dead)からのイタダキであろう。

CGクオリティも格段に向上したし、上記数々の映画からのイタダキや、スクラット&スクラッティの恋とドングリをめぐった駆け引きなど、色々とオモローな仕掛けがこれでもかと詰め込まれているので、観ていて飽きさせない。ただ「キャラクターもの」という観点で見た場合、それぞれのキャラクターにきちんと「成長」を提示していた前シリーズと比較すると、今シリーズは「ちょっとお互いが疎遠になっていたけれど、一つの事件をきっかけにまたみんな仲良くなりました」という、まぁ「元サヤ」程度のお話となっている。シリーズものとしてのドラマ的展開は、実は「マニーとエリーの間に赤ちゃんのピーチが産まれた」というだけしかなく、ちょっと食い足りない印象は残ったな。

前シリーズでは、「ディエゴは元々は単体で行動する肉食動物のはずなのに、なんでシドやマニーはともかく、他の動物たちとも上手く付き合っているんだ? そもそも、餌はどうしてるんだ?」という疑問と、違和感があった。おそらくはスタッフの中でも私が抱いているような違和感は持っていたと思われる。だからこそ、冒頭でディエゴのハンティングシーンを描き、更には「捕食者として(おそらくは群れの中で生活してきたために)、肉体的に衰えが生じている」ところまで踏み込んで描いたのだろう。
その質問に対して、本作品では一応の回答は提示している。ディエゴが分娩中のエリーを小型恐竜から守る場面がそれにあたる。すなわち、「マニー一家やシドを守るためであれば、ディエゴは強くなり、敵とも闘える」という回答だ。
でもこれって、アメリカ製ファミリー映画の典型的テーマの一つじゃないか? 「パパは普段は情けないところもあるけれど、ピンチになったら頑張れる」みたいな。このテーマをそのまま野生の動物世界に(しかも氷河期の)当てはめるのは、私としてはやはりちょっと違和感が残ってしまう。もうちょっとくっきりはっきり言ってしまうと、「家族を守るなんてのは相当レアケースでしょ? それよりも、肉食動物のあんた(ディエゴ)が、シドやマニーや他の動物たちと一緒に楽しく、仲良く暮らしていけるのか? そもそも、餌はどうするんだ」という疑問は、やっぱり結局解消されないまま残っているのである。

まぁ、ファミリー向け映画の配慮として、あまり生臭い場面を見せる訳にもいかず、また「全員仲良く暮らしました」という展開になりがちである事情は分かるつもりだ。しかし、「アイス・エイジ」という作品世界・コンセプトは、元々は「厳しい氷河期の中で、動物たちが懸命にサヴァイヴしていく姿を描く」であったはずである。そもそものコンセプトがぐらついてしまっているのであれば、継続してシリーズものを作り続けていく理由はあまりないであろう。

その観点で言えば、バックに地下の恐竜世界に留まらせたという展開を見せたのは正解であった。ただし、その後でバックがルーディを飼い馴らして、一緒に遊んでいるカットを見せたのは明らかな蛇足。「老人と海」の老人とカジキのように、お互いに敵同士として対峙する関係を継続させていくことが「恐竜時代」という作品世界に合った(私にとって納得のしやすい)「正しい関係性」になったであろうに。

結局、スクラット&スクラッティの駆け引きで、途中で2匹は恋仲にまで発展するが、最終的にはスクラットはドングリの方に心を寄せてしまい、再び2匹の間でドングリをめぐった駆け引きが展開されるという関係性が最も自然なように思える。

今挙げた「違和感」というのは、実はシリーズ1の頃から既にあったものなのだけれど、シリーズ3まで来て、流石に指摘せざるを得ないほど「違和感」が目だってきてしまっているなぁ。まぁ、シリーズものの宿命として、各キャラクターの関係性が強固になってきている以上、「みんな仲良しこよしになってしまう」という展開は避けられないのだろうけどね。シリーズ4が今から3年後か4年後になって制作されるかどうかは分からないけれど(制作費を充分に上回るヒットになったそうなので多分制作されるだろうけれど)、そこで今私が持っているような「違和感」を作品内でどう対処するのか注目したい。